そらのむこう

そらのむこうからこんにちは。どうもハルです。

名曲に酔いしれる朝シャン

あの、女性ソロシンガーの名曲。

 

♩ 拝啓、この手紙…

 

そんな昔の曲を、

汗ばんで起きたインドの朝に、シャワーを浴び

外の光を見て ふと、思い出した。

 

山の後ろから光が射してる。雲の隙間を縫って光の道が現れる。人生みたい。

なぜ、思い出したか。

 

きっと 心が共鳴したから。

 

 

これから先の未来がわからなくなったから。

 

 

自信をもって、歩んできた過去。

やる も やめる も自分で決めてこられた。

しかし、今回ばかりは、そうではなくなった。

 

 

選択肢が広がった!どんな風にも人生歩んでいける!

と思う反面

心を覆いつくす 不安。不安。不安。

 

だが、思い返せば 今までも、どんな時も、

期待と不安は、常にあった。

両極端なはずの感情は、いつも共存していた。

 

中学の吹奏楽部での、楽器選び。

担当楽器は、フルートを志望。ただすごい人気で、

「じゃんけん」という古典的な抽選する事に。

抽選落ちが嫌で、立候補もやめて、第2希望のパーカッションにした。

 

小さいころからの夢 保育士。

受験日数がどこよりも早く、合格通知が来たので、

「いいな」と思っていた他園の受験は辞退。

なぜか惹かれた 縁もゆかりもない保育園に就職した。

 

人生の一大イベント 結婚式。

2020年、あのコロナパンデミックの年。やるべきか?何を大切にしたいのか?

参列者の辞退もあり、妥協しないといけない部分もあったり、

それでも、悩みながらも自分たちの答えを出して、あの時できる式をした。

 

 

その度、いつだって、上手くいかなくなると、思い通りでないと、苦しいと

「違う可能性」にかければよかったかも

と後悔した瞬間もあった。

 

けど、過去を振り返ると、

フルートではなく、パーカッションにしたから、

保育士になった時に、行事の発表会での合奏では、オリジナルで譜面を起こせたし

 

他園ではなく、あの保育園で就職したから、

素晴らしい先生方や保護者さん。そして何より子どもたちに出会え、できた経験があるし

 

結婚式もやめずに、行ったから、

自粛期間で準備ははかどり、大切な家族に新鮮な気持ちの時に見てもらえ、

何より今年の10月に亡くなった祖父に参列してもらえた。

 

 

あの時の決断をした自分に、そして夫婦になり自分達に アッパレ!な事ばかり。

(基本自分大好きであるからできる発言なのかも?)

 

そう。大きな節目、私はいつも迷ってきた。

でも決めてきた。

そして、その渦中にいる時は、不安や後悔の波が押し寄せる事もあった。

 

でも、すべてが過去になった時には

「よかったぁ」と思えている。100%!

 

きっと、未来の自分は

33歳の私の苦しみを理解してくれて、

でも 自分の決断を褒めてくれるに違いない。

 

34歳の私。

♩ どこで何をしているのだろう。

 

さぁ、そろそろ髪を乾かそう。

 

 

Wi-Fi の奴隷

インドでは、よくWi-Fiが切れる。

晴れていたら、急に曇り出す 山の天気が如く、

急に赤ランプが点滅し、成すすべなくWi-Fiが遮断される。

 

この数日、我が家のWi-Fiは使えなかった。

「またか」と思っていたが、今回は長かった。

 

夫を見送って、日課の掃除をして。

それから、私はすることがなかった。

(その時点で、お気楽ぶりが目に余るなぁ・・)

 

ブログもかけない。

youtubeも見れない。

インスタも流し見できない。

 

だから、刺繍をしたり

読書をしたり

メロンパンを作った。

お昼寝もした。

 

それは、それで充実感のある時間だった。

それでも時々、Wi-Fiがつながるかやってみる。

できない。

少し経って、またやってみる。

できない。

 

まるで、何かしながらも

「調子はどうですか?」

「まだですね」

などとWi-Fiのご機嫌を取っているみたい。

何度も眺めたWi-Fi。頭上にあり、懇願する様子は、まるで崇めているかのよう。

 

昨夜、ようやくつながった。

なんども問い合わせると、支払いができていなかったらしい。

連絡もなく、遮断される。

 

インドのWi-Fi様は、与えられる褒美がなければ、予告なく立ち去る。

お戻りになったWi-Fi様は、褒美をたんと貰って

今日はご機嫌なようで、サクサク情報を提供してくださいます。

 

すっかり私はWi-Fiの奴隷。

 

英単語が教えてくれるのは、世界は一つ

海外に住んでいると、生きる術としても英語を学びたくなる。

通じなくて悔しい、困った。

分からなくて迷った、出来なかった。

 

そんな経験がリアルに何度も降り注いでくるから、自然と学びたくなる。

 

そこで思ったのは、どの単語も日本語で何となく言い換えることができること。

完璧な意味でなくても、ニュアンスだけでも。

 

例えば「shy」恥ずかしい・引っ込み思案・寡黙

(1つの単語で色んな意味を担うのは英語ならではなのかもしれないが)

 

ここで感じたのは、

「恥ずかしい」という、そもそもの心の動きが理解できているということ。

 

言葉は違えど、同じ人間だからその感情が理解できるということ。

だから、「shy」という単語が、理解できるのだと思った。

 

その国独自の礼儀や、風習は置いといて

肌の色も、目の色も、暮らしも、宗教も、文化も違うけれど

心の根っこの部分。感情が同じだから理解できる。

 

誰かを亡くして悲しい。滑って転んで恥ずかしい。大切な人に会えて嬉しい

その心も動きは、容易に理解できる。

 

理解できるから言葉とリンクする。

 

人類みな兄弟とは、うまく言ったものだ。

 

その言葉を使って、誰かの感情とリンクしたいから

今日も、私はブログを書く。

 

 

 

あえて「無い」

一世一代の贅沢旅行に、モルディブへ行ってきました。

ちょうど入籍して式をあげる年が

コロナのパンデミックという2020年

なので、小さいころ夢見ていた新婚旅行は、叶いませんでした。

 

そこで今年、遅い新婚旅行として、憧れのモルディブへ。

どんなに素晴らしい場所かは言わずもがな。

 

行くまで知らなかったのですが、

ここモルディブは、1つの島に1つのリゾートホテルのみなのです。

 

どのホテルに泊まるか=どの島にいくか

島にいけば、あるのはホテルのみ。

 

車の音、現地の暮らし、ローカルな店、それらは島へ足を踏み入れれば、一切感じない。

つまり生活感はまるでない。

それこそが、非日常を生み出すリゾート地「モルディブ」

 

いつもは、あちこち欲張って観光する、私たち夫婦にとっては

ある意味、島に閉じ込められることによって、

ゆっくりその景色を満喫し、何もしない贅沢を感じることができました。

 

ミュージアムや展望タワー、行き来できるフェリー。

作ろうと思えば、作れる

けれど、あえて「無い」

 

「無い」から、

今、目の前に広がる景色、自分を過ぎていく風、波の音、

変わる空の色、流れる雲、まぶしい太陽

それらに意識が向いて、癒されるのだと思いました。

 

そんなにきれいなのに、SNSから距離も置いていたからなのか

携帯には思ったより写真が少ない。

 

3日目、ようやくサンセットで2ショット写真を撮る。美しい…

それだけ「今」に目を向けて「自分」のフィルターを通して

全身で、その時間に身をゆだねていたんだなと思った。

 

こちら現在インド帰ってきて、家計簿をつける。

 

お金遣った。。。思い切り遣った。

お金さえも、あえて「無い」状況にはなってほしくなかったのに。

贅沢にはお金がつきものなのでしょうか?

 

#1【動画日記】2022.10.31 あえて「無い」/モルディブへの新婚旅行 - YouTube

 

知ることで、「みえる」もの

 

インドの大切なイベント。「ディワリ」

それは「ラーマーヤナ」という、物語のあるシーンを祝福するためのもの。

 

そのストーリーが、実に興味深い!

ただし、物語の説明は割愛。

(インターネットという文明によって、つたない私の説明よりも詳しく、丁寧に知ることができるはず)

 

ラーマーヤナ。侮るなかれ。

日本の文化や、絵本でよく知っている昔話が

偉大な大国インドから、もたらされたのだと知れる「ラーマーヤナ」

 

この気持ちを共有したい私。

街の様子をシェア

 

「ランゴリ」というお祝いの時、砂や花びらで地面に描くアート

「ラーマーヤナ」の主人公。ラーマ王子

 

知ることで、「すごい」「きれい」「おもしろい」を飛び越えて

その土地や、国の行事の意味合いが

知識の上書きとして経験できると思うのです。

 

「知る」ことで「見える」ものが、違ってくるのだと感じました。

 

インドに来る前は、興味もなかった異国のお祭り。

その成り立ちなんかより、明日の仕事内容や人付き合いのほうが大切。

 

でも、その日常から離れたことによって、

頭に空いたスペースに「知りたい」と思える、新しい興味が飛び込んできました。

 

そうすると、自分の世界もちょっと変わって、広がったような気がする。

 

目だけでなくて、なんだか「みえる」ものが増えてきた気がします。

朝起きて、思うこと。

10月21日

モンスーンがようやく開けました。

例年より遅いらしく、同じく駐在している奥様方は「去年の今頃は…」

と、新米の私に教えてくれました。

モンスーン終わりにやってくるのが「セカンドサマー」と呼ばれるシーズン。

文字通り、2回目の夏。

暑い……。いや、正確には外は暑そう。

何しろ、私のマグカップの紅茶からは、湯気がたっているから。

 

インドのムンバイ。ただいまお昼の12時をまわっております。

日本との時差は3時間半です。

日差しが部屋の中にもしっかり届きます。

 

ただ、セカンドサマーといえど、まだ朝の6時頃は暗いのです。

10月21日の朝。今日も晴れだなー!

 

いつももう少し眠っていたい欲望にかられる私。

夫は「寝てていいよ」と言ってくれるのですが、

「ここに来たのは、夫を支える役割なんだから!」と起きて、

朝ごはんのオレンジを切るのが日課です。

 

よく見る夢が、以前保育士をしていた時の出来事。

発表会、運動会、遠足、いつもの活動……などなど

出てくる顔ぶれも、ついこの前担任した子から、その保護者さん、

ずっと前に卒園した他のクラスの子まで…そのメンツは様々。

 

あの忙しい日常に別れをつげて早2年。

「あ。夢か。」「辞めたから今日も、明日も自由だー♩」とホッとしつつも、

やりがいのある、賑やかな日々を懐かしく思いながら、

今日も、生ぬるい水でオレンジを洗う朝の私。

 

今日の夕飯は何にしよう。

インドの空から、こんにちは。

はじめまして。

 

こんにちは、ハルです。

ただいまインドに来て、半年が経とうとしています。

 

2018年の秋、夫と出会い

翌年、めでたく結婚。

その夫の勤務先は、海外でした。(人生何があるか分からないものだなぁ・・・。)

 

2022年から夫は、インドに転勤になりました。

そんな私は、涼しい部屋で、紅茶を飲みながら、独りでパソコンを開いている 

つまり、無職。駐在妻です。

 

はい、お気楽です。

 

あんなに欲しかった休日が、毎日ある。

自分のために使える時間が、山ほどある。

 

一見 幸せしかなさそうだけど、

「ここに来た喜び・感謝」と「ここに来てしまった不安・寂しさ」

が振り子のように、心を行ったり来たりします。

 

なので、ここにブログとして残すことで

前向きなれたり、心のガス抜きができたらなと思っています。

 

そんな繊細な日々の気持ちや、インドの驚きいっぱいな出来事を

日本の そらのむこう このインドの空の下からポツリポツリと呟きたいです。

 

はたまた、駐在員らしい!?

一世一代の贅沢な大旅行も、記していきたいと思います~