そらのむこう

そらのむこうからこんにちは。どうもハルです。

恐れるな。

インドで刺繍の会に誘ってもらって刺繍を本格的に始ました。

 

日本にいる時もミシンで何かつくったり、

編み物をしたりと

いきなりハマっては、すぐに手つかずになる私。

 

この刺繍もどうなることかと思っていましたが、

週に1回集まるということや、

黒の糸しか使わないという

めんどくさがりの私の性格に、ちょうどよく

ここまで仕上がってきました。

素敵でしょ?インド ムンバイの街並みです。完成までもうひといき!



先日刺繍を入れる額を買いにお店へ。

 

ドキドキして入ると、独特のインドなまりのある英語で

何を言っているか聞き取れず「?」ということもありましたが、

いいものを、納得して買いたい熱量と、

拙くても伝える気持ちで、のりきました。

 

改めて、海外に住んで思うのが、英語の便利さ。

言葉が通じることで、ストレスは減ります。

読めることで、情報も分かります。

 

でも、それより大切なのは、「伝える気持ち」

英語はただのツールであって、才能を測る基準ではない。ということ

 

むしろ、私が英語で聞いても、ヒンディー語で答えてくれたり

スペイン旅行時も、観光地でさえ スペイン語で返ってきたりしました。

(私の英語が、流暢でないからという要因も大いにありますが・・・)

 

英語が分からないから答えないのではなく、

分からないなら母国語ででも、

相手の意図を推測して、伝えようとする姿が多くあります。

そして意外に伝わります。

 

言葉が通じなくても、笑顔で繋がる。女の子達に誘われて写真撮影したよ。
モザイクが惜しいくらいの美女たち♡

 

だからこそ、すごく残念なのが、

インスタグラムの検索画面にある、英語系のトピックで、

よく目につく「ネイティブが嫌がる表現」や「不自然な英語」

という投稿。

 

それを見るたび、「だからみんな話したくなくなるんだよ」と思います。

 

もちろん、その記事は間違った情報ではないです。

ある程度会話できる人にとったら、有効な投稿なのでしょう。

 

ただ、「ルール」「マナー」を重んじる日本人にしてみたら、

ましてや 英語学習初心者にとったら

そのトピックが 

より【会話】を楽しむ心をすり減らしているのではないかと思うのです。

 

こんな話を聞きました。

 

頭痛で頭を押さえていた 会社の日本人をみて、

日本語学習者のインド人が、声をかけました。

 

「どうした?頭わるいですか?」と。

 

もちろん!日本語が母国語の人にこれを言われたら

「え?」と思うのは分かります。

 

ただ、明らかに母国語が日本語ではない人が

自分を気遣って声をかけてくれたなら、

これが「知能」のことではなく、

「様子」のことを心配していることは推測できますよね。

 

その経験があったうえで

「具合は【悪い】だけど、頭や体の部位には【痛い】を使うよ」

と伝えることで、より学習に役立つのではないでしょうか。

 

経験をする前に

「これは失礼になる」「これは嫌われる」「その言い方は不自然」

と、ばかり言われると

もう何も話せなくなりそうなのは私だけでしょうか?

 

間違ったっていいよ!

 

恐れないで。

 

心は伝わるから。

 

そんな風に自分にも言い聞かせて、

まだドキドキする英語での会話を 楽しみたいと思います。

 

 

終わりに向けて、はじまりました。

新年あけましたね。(大分経ったけど)

この年末年始は、贅沢にスペインへ行ってきました。

もうこんな年越しは一生ないかもしれないという程、

本当に、素敵な毎日でした。

年越しはサグラダファミリアを見ながら。美しすぎる。

 

さぁ、もう終わりがすぐそこです。

実はインドの赴任もこの3月で終わりなのです。

のんびり気ままなマダム生活とも後2か月弱で終わりなのです。

 

実はもう1年いるつもりでした。

そのため急に帰国が決まったとたん、

シャボン玉が弾けるように、

その後の「つもり」が消えていく悲しさで落ち込みました。

 

でも、それはまた新しい毎日が始まること。

終わりに向けて始まった日々を嘆くより、

次の始まるための終わりがあるからと前向きにすすもうと思います。

 

人生は旅になぞられることが多いです。

確かにそうだなと感傷的に浸る今。

 

旅行中は見る景色が全て新鮮で、目に焼き付けたくなります。

1秒1秒が貴重で、時計をみると「もうこんな時間」と思うほどです。

 

それが日常となると違います。

見慣れた景色に心は踊らず、繰り返される日々に

早く週末が来ないかと、時が過ぎ去るのを願います。

 

でも、もう終わりがあると思うと、急に全て愛おしくなります。

あれだけ見慣れた窓の外の景色さえも。

カレンダーを見て「もうこの日」と思うほどです。

 

実は日常だって、もう来ない旅の1日です。

 

人間って、どうして「終わり」を知ったとたん

「終わって欲しくない」と思うのでしょう。

贅沢な旅行中でさえ、楽しさに没頭せず、

心のどこかで「寂しさ」を感じるのは私だけでしょうか。

 

でも、だからこそ美しい。過ぎゆくからこそ、美しい。

 

残り2カ月を大切に抱きしめながら過ごしていきたいです。

 

と、いってもそれは心の持ちよう。

することはいつもと同じことなんですけどね。

 

きっと、空の上から。

youtubeの関連動画で、思いもよらない出会いがあった。

「あなたと似ていない?」「興味あるでしょ?」

と問いかけてくるように、あがってくる関連動画

 

反抗的な私は「いや、私あなたに用はないので」と

滅多に見ることはないのだが

どうしても気になったのは

33歳(私と同じ年) 結婚3年目(これまた同じ)子なし夫婦(我が家もです)

そんな文言の並んだサムネイルと、優しいイラストのタッチに

手招きされたような気がしてクリックした。

 

suzuki miro|鈴木みろ - YouTube

小説のような。漫画のような作風。

 

誰かの実体験なのか?作品なのか?

 

好きで結婚したのに、夫にイラっとしたり、モヤっとしたり

1日1回は「やっぱり他人」と思う 繰り返される毎日。

でも、週末一緒に出かけるくらい仲は悪くはない2人。

ある日、いきつけのお蕎麦屋さんで

純粋に聞かれた悪気のない質問

「お子さんは?」

心が重くなる主人公。

 

その1つ1つの何気ない描写が、繊細で、優しいイラストの、素敵なチャンネルでした。

 

それを見て、私も「子どもは?」と聞かれることを思い出した

その時、いつも私は隠すことなく、むしろ誇らしく

流産したことを話す。

 

短い時間でも、命を授かれた嬉しさ。

そして聞こえていた小さな心臓の音が聞こえなくなった絶望。

いっぱい泣いた事。

そして命って奇跡だということ。

流産したけど、得たことを自信いっぱいに話す。

 

 

海外赴任について主人と話していた3年前。

「海外で出産とか、そんな経験もいいかも!」なんて

1つのイベントみたいに、今思えば軽く口にしていたなぁ。

 

絶望と悲しみとパニックの中、

難しい用語での手術の説明。予約、注意事項、その日の持ち物。薬。保険…

日本語ですら、危うかった精神状態。

英語でなんて、対応できるだろうか? いや無理だ。自信がない。

でも、命のためには、知ること、聞くことは大切な事。

 

そう。産めなくても、親としての責任があることを感じたのです。

 

その責任を負える自信がつくまで

私たちは子どものいない生活を選んで暮らす事にしました。

 

鈴木さんの動画を見て

主人公のように辛くないのは

「いない」ことを「選んでいる」から。

「いない」ことを焦らないのは「一度命が来てくれた」から。

そんな風に、別の誰かを通して、改めてフィードバックされた私たちの思い。

 

それと同時に、動画の主人公に思いを寄せる。

すると、あの日。8月18日。お空にかえった子から

「私がいなきゃ、この動画みたいに不安になって焦るでしょ?だから来てあげたんだよ」

と言われている気がした。

 

心配させないように

命の大切さが伝わるように

責任を感じられるように

今の時間を見つめられるように

 

私たちのところに1ヵ月もいなかったのに

その命をかけて伝えて、その命を諦めて今も見守ってくれてる。

たくさん教えてもらったなぁ。

 

今日も、天使が微笑んでくれてる気がする。

 

きっと、空の上から。

 

 

朝焼け。また始まるね、未来が始まる。

夜空のむこう

偶然にも、あの、国民的グループの歌と 同じタイトルをつけてしまった。

それは、インドで、プラネタリウムに行ってきたから。

 

12月4日 自宅から、車に揺られて目的地のプラネタリウムへ。

 

さっそくチケットカウンターに!と、意気揚々と、向かうと

なんと従業員は、約1時間のお昼休み。

 

日本では、いつでも開いている窓口。

今までは「もう!交代に休憩とればいいじゃん」と

サービスのクオリティーに、不満をもらしていたけど

でも、スタッフも、大切な人。

「規則正しい時間に昼食を、全員でゆっくり摂ってもいいのではないか?」

「こちらが、便利を求めすぎて誰かの権利を冒していないか?」

と考えるようになった。

 

ゆっくりと準備が行われ、業務再開。チケット購入へ

上映は、言葉によってタイムスケジュールが組んである。

 

なぜなら、州によって言語が違うインド。

(方言ではなく、文字も違う。18もの言語があるんだよ。)

北と南で言葉が違って通じないことも、当たり前。

そのためヒンディー語(公用語)マラティー語(ここの州の人の言葉)、そして英語

と、それぞれ上映時間が違うのです。

料金は1人150ルピー(約240円)外国人料金がないのも珍しいね!

 

そんな私、生まれて初めてのプラネタリウム。

星空の天体スクリーンの周りには、ここムンバイの有名スポットの切り絵が。

それで東西南北を伝えながら、星空の話を聞き、輝く天体を眺めました。

500人収容できるホール。チケットには座席番号も印字してあるよ。

天体ショーは40分ほど。

美しい銀河系が映し出されると歓声を上げ、拍手をするインドの方々。

上映後は、もちろん大きな拍手。

なにか1つの観劇を見終わった後のような高揚感で包まれるシアター

 

「プラネタリウムって、舞台みたいな雰囲気なんだぁ」と呟くと

「いや、違うよ(笑)」と主人。

 

そこで、ふとインドの夜空を思い出す。

そうか。星がいかに尊いか。

 

それもそのはず。

ご覧ください、インドの大気汚染数値を。

 

インド。ムンバイ。視界は砂埃。この数値呼吸が怖すぎる。

 

 

ずっと感じているけど、日本ってきれいなんだね~

 

街にあふれる 型落ちの車やバイクから、容赦なく噴き出す排気ガス

人工衛星からも煙が見えるという、ごみ焼却場

分別していない町のゴミ山からの自然発火

 

昼間も太陽の光がしっかり届かないくらいに、空気は汚れ

夜は、星空とは無縁な日々なのです。

(ちょっと悪口みたいになってしまってごめん。インド。好きなところいっぱいだよ)

 

だからこそ、インドの人々はプラネタリウムに行き

煙の先、夜空の向こうに広がっている 輝く無数の星や月、

そしてその先の宇宙、銀河、惑星に 夢をはせ

知識習得だけではなく、大自然を体験しているのだと思いました。

 

思い起こせば、

子どもの頃 夜空を眺めて、一番星を見つけ、月の光を感じ、

流星群がくると知ったら、流れ星を待ち構えていた日も。

いつからか、夜空というその環境は当たり前で、その美しさも忘れていたけれど、

 

あの歓声や拍手が、素直な無垢な表現なのだと

インドの人の純粋さに触れ、

またひとつ、彼らを愛おしく思った日でした。

 

 

参考:世界の大気汚染: リアルタイム空気質指数 (waqi.info)

 

 

 

 

 

先輩、お供します!

年齢も近く、お子さんがいないという

我が家と同じ家族構成の先輩奥さんと、先週2人でお出かけをした。

 

その方、とってもアクティブ!

10㎞以上離れたところも 歩いていくらしい。

(インドの道路事情だと、約3時間くらい歩く)

Googleマップを広げ、タグをつけ、

口コミがいいお店があれば、ローカルな道でも進む。

 

ビビりの私は1人では無理だけど、

頼れる先輩がいるので、

本日は、以前から私が気になってたお店と、

その方のおすすめのお店へ。

 

朝10時に集合し、リキシャに揺られ

一店舗目はリボン屋さんへ

 

棚いっぱいのリボン。細かい細工でどれもお値打ち!可愛いすぎた。

 

ずっといても飽きない‥‥

女子だけの買い物っていいよねーと

このお店だけでも1時間は滞在。

 

その後も、歩く歩く、布屋さんへ

歩いて、歩いて、服屋さんへ。。。と巡り

歩き疲れた身体に糖分補給。

 

濃厚なラッシー。ヨーグルトが上にのってるよ!これで38ルピー(65円)

 

甘いラッシーのお陰で、さっきの疲れはどこへやら。

再び歩くと、たくさんの洋服路面店の通りが。

めちゃくちゃ賑やか!

 

 

たくさんの服。意外にもきれいで現代的なデザインだったりする。

商売人魂の熱いインド人たち。

モーレツに浴びせられる、呼び込みの声をあしらって、

ずっと気になっていたパン屋さんを目指して歩く。

 

じゃり道を進むと、着きました。

(畑作業のトラクターが入ってそうな倉庫。ボソッ)

人気のローカルパン屋さん。朝は手前の白いまるの中に、もっと並ぶらしいよー

この風貌ですが、日本人御用達

調理パンもその場で作ってくれるこだわりのパン屋さんです。

 

私は、クロワッサンを買いました~!

(調理パンは持ち歩きが長いから、ビビッて買わず)

 

その後、パン屋さんを2軒教えてもらって、カフェも行って…

と、まぁたっぷり楽しみ、帰りの渋滞にはまり

19時に帰宅。

遊びすぎちゃったー。

まぁ、たまにはいっか!

 

アドベンチャーな1日を振り返る。

 

部屋の窓から見る外は、代り映えしないけど、

ひとたび外に出てみれば、魅力あふれる街並み。

笑顔で明るい人々。素敵な商品に、美味しいグルメ。

たまに出会う面白いお店に、ぎょっとする光景も。

でかめのニワトリ。食べられるのか?卵用か?店の前の道路をうろつく。

 

先輩のお陰で、世界がぐぐぐと広がった1日でした。

 

しかし、その日の夜。

先輩行きつけのお店のチキンを食べ、腹痛に襲われた私。

気持ちとは裏腹に、胃腸はまだインドを受け入れきれない時があるみたい

 

だけど彼女のように、世界に飛び込んでいけば

心も胃腸も元気になるような気がする。

 

そんな先輩は、インドで生卵を食べました。

ちょっとそれは、先に行き過ぎです、先輩。追いつけません。

 

 

非現実の中の楽しみ

いやはや、便利な世の中なもので。

パソコンでオンライン通話ができるから、それを利用して

日本にいる家族と録画した韓国ドラマを見る日々です。

 

こんな風に見てるよ。ぼかしてるけど、状況分かるかな~?

録画という時空を超えた非現実機能

韓国ドラマという異文化で非現実的な内容

(韓国ドラマのストーリー展開って驚くよね。そこが面白いんだけどね。)

それをリアルタイムで、顔をみて会話できる非現実的空間

 

「通話」のボタン1つで、パソコンには

家族の笑顔と、韓国ドラマ

 

画質もよく、最新作といった

便利な動画視聴サイトはあるけれど、

家族と時間を共有しながら 

画面を通して、まるで自分もお茶の間にいる感覚が好き。

 

しかし ひとたび「終了」を押せば、

静かな部屋。1人の部屋。外からは野犬の鳴き声。クラクション。

 

あぁ、現実だ。

どこか時空を旅していたような。

そんな不思議な楽しい時間。

 

遠い日本を懐かしんで 外を見る

インドは、今日も晴れ

モンスーン終わりの外気は

非現実であってほしい程 塵っぽい。

 

 

6000Kmを超えて

インスタグラムでフォローしていた

日本料理店を経営している インド人のシェフが

ムンバイから150Kmほど離れたプネ―という街から

2日間限定のイベントで来る広告を見つけた。

 

しかも訪れるのは、私たちの入籍記念日!

コースは9品で、3種カクテル飲み放題。

料金は、1人4000ルピー。日本円で8000円ほど。

 

祝い事だ!即決!

 

このシェフ、日本に料理修行も行き、味も本格的という噂。

(我がふるさとにも、このシェフ来てくれたんだって♩)

 

この日イベントに来ていた日本人は私たちだけ。

あとは、インド人。

(前日は日本の方も数名いたらしい)

 

料理会場は、あの「料理の鉄人」という番組のごとく

(若い人は知らないよね…いい例えが見つからない)

お客さんは2階席に、1階は厨房になっていて、

ライブ感のある調理場が見渡せ、出来立ての料理が運ばれる。

 

そしてシェフが日本語でも料理の説明をしてくれた。

 

どれも美味しい。

目をつぶれば、日本にいるかな?と思うくらい。

味ってすごいな~。記憶を呼び起こすのだと思った。

 

中でも驚いたのは「たこ焼き」

盛り付けも素敵!たこ焼きをインドで食べられるとは感動。

 

「たこ」という海外では、馴染みない(どちらかというと驚かれる)

食材をあえて使ったことの勇気。すごい…

 

そして、たこ焼きといえばのこの器。

特注で、インドで手に入れたと話してくれた。

「これでなきゃたこ焼きでないですから」と笑顔のシェフ。

大変だったろうな~。

 

そしてソース。17種類の野菜や果物を煮込んで作ったと!

てっきり、お〇ふくソースかと思っていた私たちは

声をあげて驚いた!

 

その上で、このコースはベジタリアンメニューと、ノンベジタリアンメニューが

提供されていた。

多宗教のインド。その配慮が当たり前にされていることに、世界の広さを感じた。

 

何より、このインドという土地で、

日本人よりも、日本食にこだわって、日本の味を愛してくれて

広めてくれるシェフとそのスタッフさんに

感動した夜だった。

 

入籍記念日だと雑談した事を覚えていてくれたスタッフさんが

最後には、パンケーキも用意してくれた。

 

6000Kmを超えて、日本を懐かしむことができ、

6000kmも離れていても、「美味しさ」と人の「温かみ」と「情熱」は

色褪せないのだとも思った夜でした。

 

ぜひ、インドのプネーに訪れた際には、

japanese restaurant 「GINKO」へ

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